この問題のもう一つの側面は、私たち視聴者の姿勢にある。「子どもがかわいそう」と同情する一方で、多くの人々が彼らの動画を再生し、SNSの投稿を拡散し、野次馬としてコンテンツを消費し続けた。この「共犯関係」こそが、しばなんファミリーの暴走を加速させた一因であることは否めない。
同情の裏にある好奇の目は、時として当事者をさらに追い詰める。ネット上に溢れる「かわいそう」という言葉自体が、子どもたちにとっては「自分たちは哀れな存在なのだ」というレッテル貼りになりかねない。私たちは、彼らを救いたいという正義感と、単なるエンタメとして消費したいという覗き見根性の境界線を、今一度見つめ直す必要がある。