多くの日本人にとって、本作との最初の接点は学校教育・国語教科書だろう。小学校の教室で朗読される際、リズミカルなオノマトペや扉のメッセージの変化は、どこかコミカルな謎解きとして消費されがちだ。しかし、この作品の原点は驚くほど孤高で、かつ不遇なものだった。
大正末期、盛岡の出版社である光原社から刊行された童話集『注文の多い料理店』。作者である宮沢賢治が生前に唯一出版した童話集であり、当時はほとんど売れずに大半が返本されたという苦い歴史を持つ。いまや日本近代文学出版の記念碑的作品として燦然と輝く同書だが、当時の読者にとっては、児童向けという枠組みを逸脱した不気味さと異端の筆致が、あまりにも早すぎたのだ。
岩手県花巻市の宮沢賢治記念館を訪れると、当時の生原稿や献辞から、賢治が単なるおとぎ話を書こうとしたのではないことが痛烈に伝わってくる。彼が描こうとしたのは、東北の過酷な自然と対峙し、生きとし生けるものへの痛切な倫理観を抱き続けた末の、人間中心主義への痛烈なカウンターパンチだった。