山田和利という名を聞いて、即座にあの闘志溢れるプレースタイルを思い出すファンは、間違いなく熱心なプロ野球フリークだ。東邦高校から1983年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。星野仙一監督率いる「闘将軍団」の一員として、内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして重宝された。決して華やかなスター街道を歩んだわけではない。しかし、ここぞという場面で見せる勝負強さと、泥にまみれることを厭わない献身的な姿勢は、当時のナゴヤ球場に詰めかけたファンを大いに沸かせた。
1991年にはトレードで広島東洋カープへ移籍。新天地でもその渋い働きは健在で、チームのリーグ優勝に貢献した。その後、古巣である中日に復帰し、現役引退後はコーチとして後進の指導にあたった。彼の野球人生は、常に「チームのために何ができるか」を問い続ける泥臭い自己犠牲の歴史でもあったのだ。