関係破綻の決定打となったのが、現在も語り継がれる「京都の墓碑トラブル」です。細木さんは島倉さんの将来の安泰や先祖供養を名目に、京都の由緒ある寺院境内に島倉家のための巨大な墓碑を建立することを提案・主導しました。
しかし、その建立費用として数千万円単位の巨額な資金が動いたことや、墓の所有権・管理権をめぐる見解の相違が表面化します。「なぜ莫大な借金を返済している最中に、このような高額な墓を建てなければならないのか」「自分のお金がどのように使われているのか」という島倉さんの疑念は頂点に達しました。
精神的に限界を迎えた島倉さんは、周囲の信頼できる支援者の助けを得て、細木さんの管理下から脱出することを決意。興行権の契約解除と後見人関係の解消を申し入れました。細木さん側との激しい応酬の末、1980年代後半に二人は完全に絶縁。かつて命を救った恩人とスターの関係は、互いに深い遺恨を残したまま幕を閉じました。