704年、南インドのバラモン階級に生まれた男は、いかにして東の果ての島国へとたどり着いたのか。当時の航海は命がけの冒険であり、生きて渡れる保証などどこにもなかった。唐の長安で日本の遣唐使や僧侶・審祥らと出会ったことが、彼の運命を大きく狂わせ、そして開花させることとなる。
日本側からの熱烈な招聘に応じ、736年に九州・太宰府へ到着。聖武天皇の強い意向のもと、平城京へと迎え入れられた。彼がもたらしたのは仏教の教理だけではない。薬草学、天文学、そして当時の最先端工学に関する広範な知識が、まだ未成熟だった奈良の地に注入されたのだった。