青函連絡船の歴史は、1908年(明治41年)に就航した比羅夫丸(ひらふまる)から始まりました。本州と北海道を結ぶ唯一の大量輸送路として、戦前・戦後の日本の近代化と経済復興を支え続けた大動脈です。
しかし、その歴史は平坦なものばかりではありませんでした。1954年(昭和29年)9月26日、猛烈な台風15号によって洞爺丸をはじめとする5隻の連絡船が沈没・座礁し、1,430名もの尊い命が失われるという世界海難史上類を見ない惨劇「洞爺丸事故」が発生しました。
この大悲劇を契機として、「天候に左右されない確実な海底ルートの建設」という国家プロジェクトが本格化し、青函トンネルの掘削構想が現実へと動き出します。同時に、連絡船の安全性向上に向けた抜本的な船体改良が行われ、その集大成として建造されたのが「津軽丸型」自動化連絡船、すなわち八甲田丸でした。
そして1988年(昭和63年)3月13日、青函トンネルが開業。同日の最終運航をもって、80年間にわたり延べ1億6千万人以上の乗客と2億5千万トンに達する貨物を運び続けた青函連絡船は、その輝かしい定期航路の役目を終えました。八甲田丸は、時代の大きな転換期を象徴する生き証人として、いまも青森の海にその碇を下ろしています。