昭和13年(1938年)、武力のみに依存する従来の合戦観に危機感を抱いた大日本帝国陸軍の将校・岩畔豪雄らは、情報戦の遅れを取り戻すべく新たな防諜機関の設立に動いた。これが後に「陸軍中野学校」と呼ばれる組織の原点である。当時は「後方勤務要員養成所」という秘匿名称が付けられ、陸軍士官学校出身のエリートではなく、大学卒業者や語学に長けた若者たちが全国から選抜された。
岩畔豪雄が目指したのは、硬直化した陸軍の教条主義を打破する「インテリジェンス・諜報分野」の専門集団だった。学生たちは背広を着用し、長髪を許され、銀座の街で社交術を学ぶことも求められたという。武士道精神とは一線を画す、冷徹なリアリズムと変幻自在の工作技術。それこそが、この組織が持つ最大の特徴であり、異色の存在たる理由であった。