ネット上の掲示板やSNSでは長年、「井上喜久子といえば聖母キャラ」というパブリックイメージが定着していましたが、実態として彼女のキャリアをより重厚にしているのは、息をのむほど冷酷な悪役キャラクターや狂気性を帯びた役どころです。彼女が演じる悪役の最大の特徴は、「声そのものは極めて上品で穏やかでありながら、内面に底知れぬ冷酷さを宿している」というギャップにあります。
代表的な例が、『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』(2009年)のラスト(色欲)です。美しい肢体を持ちながら、人間の命を何とも思わず指先から刃を伸ばして切り裂くホムンクルスを、井上は艶めかしく、かつ冷厳に演じ切りました。また、『マクロスF』(2008年)のグレイス・オコナーでは、一見献身的な敏腕マネージャーを装いながら、裏で冷徹に銀河支配の陰謀を巡らせる黒幕としての怪演を披露。その豹変ぶりは放送当時、視聴者に強烈な戦慄を与えました。
さらにゲームの世界でもその振れ幅は際立っています。世界的人気を誇るサバイバルホラー『バイオハザード ヴィレッジ』(2026年)では、巨大な貴婦人オルチーナ・ドミトレスク役を担当。上品な貴族言葉の端々にサディスティックな嗜虐性を滲ませる怪演で、国内外のプレイヤーから絶賛を集めました。また、格闘ゲーム『GUILTY GEAR』シリーズのイノ(I-No)のように、ロックで退廃的、挑発的な言葉を連発する攻撃的なキャラクターまで見事に自分のものにしています。「声が優しいからこそ、悪に染まったときの底知れなさが際立つ」という起用意図を完璧に具現化できる点こそ、演出家たちが井上喜久子を重用し続ける最大の理由です。