高句麗・百済・新羅の興亡史!なぜ最弱の新羅が統一できたのか

高句麗・百済・新羅の興亡史!なぜ最弱の新羅が統一できたのか

高句麗・百済・新羅の興亡史!なぜ最弱の新羅が統一できたのかの全貌を詳しく解説してご紹介します。

激動の三国時代から統一に至るまでの流れを、主要な出来事と滅亡順に沿って年表で整理します。

年代主な出来事と東アジアの情勢391年頃倭国が半島へ進出。高句麗の広開土王が倭軍を撃退(広開土王碑)。538年/552年百済の聖明王により、日本へ仏教が公式に伝来(仏教公伝)。562年伽耶(加羅・任那)滅亡。新羅が完全に併合する。660年百済滅亡。唐・新羅連合軍の奇襲により王都陥落。663年白村江の戦い。百済復興軍・倭軍が唐・新羅連合軍に大敗。668年高句麗滅亡。淵蓋蘇文死後の内紛に乗じた唐・新羅軍により平壌陥落。676年新羅による朝鮮半島統一。唐・新羅戦争に勝利し唐軍を排除。

滅亡順は「伽耶(562年)→ 百済(660年)→ 高句麗(668年)」の順であり、最後に生き残った新羅が覇者となった経緯が明確に分かります。

石川 優花
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石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。