因幡堂の格式の高さを語る上で欠かせないのが、平安時代中期に遡る創建の物語です。橘行平と因幡堂の歴史的経緯は、今から1000年以上前の長徳3年(997年)に始まります。
因幡国(現在の鳥取県)の国司を務めていた橘行平(たちばなのゆきひら)は、任期を終えて京へ帰る途上、突然の重い熱病に倒れてしまいます。生死をさまよう行平の夢枕に立った僧侶から「因幡の賀露の浦の海底に浮かぶ霊木を救い上げ、供養せよ」とのお告げを受けました。行平が浦の海中を探らせると、黄金の光を放つ薬師如来像が引き上げられました。行平はその場で草庵を結んで像を安置し、一心に平癒を祈願したところ、たちまち病は全快したと伝えられています。
京へ戻った行平のもとに、後にこの薬師如来像が自ら東の空を飛翔して屋敷に舞い降りたという伝説から、本尊は「飛来薬師」とも呼ばれるようになりました。承安元年(1171年)には高倉天皇より「平等寺」の寺号を賜り、信濃の善光寺(阿弥陀如来)、京都嵯峨の清涼寺(釈迦如来)と並ぶ「日本三如来」の一角として朝廷から庶民に至るまで絶大な尊崇を集めました。
現在でも京都十二薬師霊場第一番札所として巡礼の起点となっており、都の医療や薬学が未発達だった時代から、庶民が病の苦しみを打ち明ける最も身近で強力な祈りの場として君臨し続けています。