池波正太郎が長谷川平蔵たちの好物として軍鶏鍋を選んだ背景には、当時の食文化に対する深い造詣があります。江戸時代後期、軍鶏鍋は単なる贅沢品ではなく、市井の人々にとって「精のつく滋養食」としての立ち位置を確立していました。
闘鶏用として鍛え上げられた軍鶏の肉は、一般的な鶏肉に比べて筋肉質で歯ごたえがあり、噛むほどに深い旨味が染み出します。昼夜を問わず凶悪犯を追い、命を削って捜査にあたる密偵や平蔵にとって、鉄鍋で煮込む熱々の軍鶏鍋は肉体と精神を回復させる最高の活力源でした。池波は料理の描写を通じて、過酷な任務に生きる人間たちの体温や江戸の夜の冷たさを鮮烈に描き出したのです。