鈴木泰成の名が全国の高校野球ファンに知れ渡ったのは、西東京の強豪・東海大菅生高校時代でした。1年秋からベンチ入りを果たし、2年春の選抜高校野球大会(センバツ)では8強入りに大きく貢献。140キロ台後半の速球をテンポよく投げ込む姿は、一躍「世代トップクラスの右腕」としてメディアを賑わせました。
しかし、順風満帆に見えた高校野球生活の後半に試練が訪れます。2年秋以降、右肘のコンディション不良や違和感に見舞われ、実戦から離れる時期を余儀なくされました。3年夏も万全とはいえないコンディションで登板機会が限られ、チームも甲子園出場を逃すという悔し涙を呑む結果となります。
ネット上では「重い怪我ではないか」と将来を危ぶむ声も囁かれましたが、鈴木自身は決して焦りませんでした。高校卒業時のプロ志願届提出を見送り、東都大学野球のトップレベルで揉まれながら体を根本から作り直す道を選択。この決断が、のちの飛躍に向けた強固な土台となりました。