日本軍の食事史において、最大の医療悲劇となったのが「脚気(かっけ)」による大量の非戦闘員の消耗です。脚気はビタミンB1不足によって手足の麻痺や心不全を引き起こす病ですが、当時は原因不明の感染症と信じられていました。
陸軍では、軍医トップの森林太郎(文豪・森鴎外)らが「白米こそが日本兵の力の源である」という伝統的な白米至上主義に固執しました。農村出身の若者にとって、白米を腹いっぱい食べられる軍隊は憧れでしたが、副食(おかず)が乏しい中で白米ばかりを大量摂取した結果、深刻なビタミン不足を引き起こしました。日清・日露戦争では、敵の銃弾で倒れた戦死者よりも、脚気で病死した兵士のほうが遥かに多かったほどです。
対する海軍は、食事の改善(麦飯の混合と洋食の導入)によって脚気の根絶に成功していました。しかし、陸軍上層部は海軍の成功を認めず、太平洋戦争開戦後もビタミンB1の重要性に対する認識が遅れ続けました。最終的に陸軍も麦飯やビタミン剤(アリナミンの前身となる製剤)を導入したものの、兵站が崩壊した戦場では再び脚気や栄養失調が兵士たちを容赦なく襲いました。