事件の発端は、世襲親王家の一つである閑院宮家から皇位を継承した光格天皇の個人的な思いにあった。即位を果たした光格天皇だったが、その実父である閑院宮典仁親王は天皇の位に就いた経験がない皇族にとどまっていた。宮中行事や儀式において、自らの生父である閑院宮典仁親王が大臣クラスの公卿の下位に座らざるを得ない現実に、若き天皇は強い胸の痛みを覚えていたという。
天皇は父親に「太上天皇(上皇)」の尊号を贈ることで、その地位と名誉を高めようと試みた。だが、一度も即位していない皇族に上皇の尊号を贈る行為は、朝廷の歴史においてもきわめて異例の事態だった。公卿たちの間でも議論は紛糾したが、天皇の強い意志に押される形で、朝廷は江戸幕府に対して尊号贈与の承認を要請する決定を下した。