イカ天の歴史を語る上で欠かせないのが、社会現象にまで登りつめた「たま」の顛末と、ロック界のカリスマとなった「BLANKEY JET CITY」の足跡です。両者の歩みは、日本のバンドカルチャーにおける光と影を如実に物語っています。
1990年に「さよなら人類」でメジャーデビューし、NHK紅白歌合戦出場やレコード大賞新人賞を受賞した「たま」。彼らは単なる一発屋ではなく、メンバー4人全員が高い演奏力と個性的なソングライティング能力を持つ希代のアヴァンギャルド・ポップバンドでした。では、なぜ2003年に解散を選んだのでしょうか。たま 解散 理由の真相は、商業的プレッシャーによるメンバー間の不和ではなく、「メジャーバブルからの解放と、各メンバーの純粋な表現追求のための円満な選択」でした。
知久寿焼や石川浩司らの証言によると、大ヒットによる極端なプライベートの喪失や「色モノ」としての消費サイクルを経験した後、バンドはインディーズへ移行して本来の自由な音楽性を取り戻しました。その後、ベースの柳原陽一郎(現・柳原幼一郎)の脱退を経て、40代を迎えたメンバーたちがそれぞれのソロ活動や別ユニットを優先するために自然な形で幕を下ろしたのです。2026年現在も各メンバーは精力的に音楽活動を継続しており、20代〜30代の若手アーティストから「唯一無二のフォークロック」として絶大なリスペクトを受けています。
一方、ブランキージェットシティ 伝説は、日本のロックシーンにおいて今なお神聖視されています。浅井健一(Vo/G)、照井利幸(B)、中村達也(Dr)の3人が放つスリリングな緊張感と刹那的な詩世界は、当時の審査員であった萩原健太や内田春菊らを唸らせました。デビュー後も妥協のない音作りを貫き、2000年5月に「最高のアルバム(『HARLEM JETS』)ができたから」という理由で突如解散を発表。フジロックフェスティバルのヘッドライナーや横浜アリーナ2daysで伝説的なラストライブを行って解散しました。2026年から2026年にかけて進められた全作品のアナログ盤復刻と世界サブスク配信は、国内外のオルタナティブ・ロックファンに強烈な再評価の波を起こしています。