二人の出会いは1990年代初頭にさかのぼる。当時、すでにトップ女優としての地位を確立していた田中美佐子と、お笑い事務所「浅井企画」に所属するタレント予備軍だった深沢邦之。深沢は田中美佐子の付き人兼マネージャーのような形で現場を手伝っていた。
1995年の結婚当時、世間を最も賑わせたのが「格差婚」という言葉だ。人気女優と売れない若手芸人。年収差は100倍以上とも報じられ、メディアは「長続きするはずがない」と懐疑的な視線を向けた。しかし、田中美佐子側からプロポーズしたというエピソードが示す通り、彼女が求めたのは相手のステータスではなく、揺るぎない誠実さと居心地の良さだったのだ。
深沢邦之もまた、Take2として東貴博とともにブレイクを果たすと、バラエティ番組やレポーターとして地道にキャリアを築いていった。世間の偏見に屈せず、互いの領域を守りながら家庭を築く姿は、当時の芸能界でも異彩を放っていた。