北条高時を語る上で避けて通れないのが、『太平記』に記された常軌を逸した遊興エピソードです。月に12回も催されたという闘犬では、勝ち犬に絹や錦をまとわせ、町を行き交う武士や庶民に平伏を強いたと伝えられます。さらに、京都から田楽座を呼び寄せて乱舞し、怪異な天狗たちとともに歌い踊ったという怪異談まで残されています。
だが、これらの描写をそのまま史実と受け取ることはできません。『太平記』は後醍醐天皇や足利尊氏の正統性を強調するために編纂された軍記文学であり、滅び去った前政権のトップを「悪徳と狂気に満ちた暴君」に仕立て上げる必然性がありました。
当時の一次史料を検証すると、高時は幼少期から病弱であり、わずか24歳で病を理由に執権職を退いて出家していた事実が浮かび上がります。政務を完全に牛耳って暴政を敷くような体力や政治的自由度は、実際には存在していなかったのが真相です。