ポーツマス条約で一時的に国民の怨嗟の的となった小村ですが、彼の外交官としての真の集大成は、第2次桂内閣の外相として成し遂げた条約改正(関税自主権の回復)にあります。
幕末に江戸幕府が欧米列強と結んだ不平等条約は、日本の主権を大きく縛り付けていました。不平等条約には主に2つの柱がありました。
- 領事裁判権(治外法権):外国人が日本国内で罪を犯しても、日本の法律で裁けない不平等。
- 関税自主権の喪失:日本が輸入品に対して自国の裁量で関税率を決められない不平等。
前者の領事裁判権撤廃は陸奥宗光が1894年に道筋をつけましたが、関税自主権の回復は未達成のままでした。小村は1911年(明治44年)、アメリカとの間で日米通商航海条約を改定調印し、イギリス、ドイツ、フランスなど列強各国とも同様の新条約を締結。半世紀以上にわたって日本を苦しめてきた不平等条約を完全に撤廃し、名実ともに日本を「列強と対等な独立国」へと押し上げました。