事態が急激に動いたのは発生から約2年7カ月後、2026年春のことだった。キャンプ場から東へ約600メートル離れた枯れ沢(通称・枯れ沢周辺の山林)を探索していたボランティア男性が、人の後頭部とおぼしき骨片を発見した。この発見を皮切りに、山梨県警察は周辺の大規模な再捜索を敢行。崖が切り立つ危険な急斜面から、運動靴、肩掛けバッグ、衣類、そして複数の人骨が相次いで発見された。
回収された骨片はただちに警察庁の科学警察研究所(科警研)へと送られ、最先端の科学捜査・DNA鑑定に付された。損傷が激しく微量な骨片からミトコンドリアDNAおよび核DNA型を抽出・解析する高度な鑑定作業が続けられ、検出された型は行方不明となっていた女児のDNA型と完全に一致した。これにより、山梨県警は女児の死亡を正式に確認。だが、それは安堵ではなく、新たな謎の始まりを告げるものだった。