文久3年9月18日、京都の街を猛烈な豪雨が襲った。前夜から八木邸で催された酒宴で、芹沢は深酒を重ねて愛妾・お梅とともに奥の間に横たわっていた。その隙を突き、土方歳三や沖田総司ら刺客たちが暗闇を切り裂いて討ち入った。
豪雨の音に消される悲鳴と刃の交錯。芹沢は文机につまずきながらも凄まじい抵抗を見せたが、最後は刺客たちの刃に倒れた。この粛清は単なる内部の喧嘩ではない。会津藩の暗黙の了解のもとで遂行された、政治的暗殺であったことが近年の研究で裏付けられている。組織の統一と武士としての正統性を得るため、芹沢は「消されるべき男」として歴史の影に追いやられたのだった。