もんじ焼きの歴史を紐解くと、江戸時代後期の文化・文政期から幕末にかけての江戸下町(浅草・本所・深川周辺)にたどり着きます。当時、紙や筆墨は庶民にとって貴重品でした。そこで寺子屋の師匠や駄菓子屋の店主が、水でゆるく溶いた小麦粉を使い、熱した鉄板の上に文字を書きながら子どもたちにひらがなや数字を教えたことが「文字(もんじ)焼き」の始まりとされています。
子どもたちは鉄板に書かれた文字を読み、焼き上がった生地をつまんで食べることで、学びとおやつの両方を享受していました。この「文字を焼く」という行為が、時代の移り変わりとともに「もんじ焼き」、さらには東京下町特有の音便変化によって「もんじゃ焼き」へと呼び名を変えていったのです。
明治から大正、昭和初期にかけて、もんじ焼きは子どもたちが小遣い銭(数銭〜数十円)を握りしめて集まる駄菓子屋の奥スペースに置かれた鉄板で提供される定番メニューとなりました。第二次世界大戦後の食糧難の時代には、貴重な小麦粉を極限まで水で伸ばし、キャベツの芯やすじ青のり、わずかなウスターソースで味付けした「腹持ちの良い安価なおやつ」として庶民の胃袋を支え続けました。
昭和30年代後半以降、高度経済成長期を迎えると、東京・月島周辺を中心にキャベツや海鮮、明太子やチーズといった贅沢な具材をふんだんに盛り込む飲食店スタイルの「月島もんじゃ」へと急速に商業化が進みます。その結果、元祖である素朴な「もんじ焼き」は下町の路地裏や北関東の特定地域へとその系譜を受け継いでいくことになりました。