1970年11月25日午前11時前、三島由紀夫は主宰する民間防衛組織「楯の会」の学生メンバー4名(森田必勝、小賀正義、小川正洋、古賀浩靖)を伴い、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を訪れました。面談名目で益田兼利総監室に入った一行は、持参した日本刀「関孫六」などを誇示して総監を拘束。バルコニーからの檄文演説へと突き進みます。
本館前広場に集まった約1,000名の自衛隊員を前に、三島は憲法改正と自衛隊の決起を促す演説を行いました。しかし、激しい野次や上空を旋回する報道ヘリコプターの轟音にかき消され、わずか約11分で演説を打ち切ることになります。総監室へ引き返した三島は、「これでよし」と呟き、あらかじめ決意していた最期の儀式へと移りました。
三島は軍服の上着を脱いで上半身裸となり、床に正座して短刀を自らの左下腹部に突き立てました。右腹へと刃を引き裂く壮絶な切腹の経緯の中、介錯を務める手筈になっていた森田必勝が背後に立ち、太刀を振り下ろしました。しかし、極度の緊張と精神的重圧から太刀筋が定まらず、一撃で首を落とすことは叶いませんでした。