2008年5月8日にリリースされ、オリコン週間シングルチャートで初登場3位を記録した『ダイアモンド クレバス』。デビュー曲でありながら異例のロングヒットを記録した背景には、天才音楽プロデューサー・菅野よう子と、シェリル・ノームの歌唱担当として抜擢されたMay'n(当時18歳)との劇的な出会いがありました。
当時の制作関係者の証言やインタビュー資料によると、菅野よう子はシェリルのキャラクター像である「圧倒的なカリスマ性と、その裏に潜む深い孤独」を表現できる歌い手を長きにわたり探し求めていました。本名である中林芽依からアーティスト名「May'n」へと改名し、背水の陣で挑んだオーディションの場において、菅野よう子の直感を射止めたのは彼女の持つ、憂いを帯びた独特のハスキーな倍音成分でした。
マクロスフロンティアの前期ED曲として制作された本曲のレコーディング現場では、菅野よう子による徹底した感情表現の引き出しが行われました。単に音程やピッチを正確になぞる歌唱ではなく、「胸の奥底にある悲劇をさらけ出すこと」「声の掠れや息遣いそのものに感情を宿らせること」が求められたのです。スタジオでの過酷かつ繊細なテイクの積み重ねによって、当時まだ10代だった少女の歌声は、銀河を揺るがすトップ歌姫の慟哭へと昇華されていきました。