昭和の街を埋め尽くしたブームは、なぜ一瞬にして幕を閉じたのか。ネット上や巷の噂路では「危険すぎて警察や通産省から発禁処分(強制販売停止)を受けた」「設計上の重大な欠陥が隠蔽されていた」といったセンセーショナルな言説が語られることが少なくありません。しかし、当時の報道記録や社史を紐解くと、事実は大きく異なります。
衰退の決定打となったのは、過剰な走行性能と昭和の道路環境・利用実態のミスマッチによる事故の多発でした。ホンダの優れた設計ゆえに、この乗り物は子どもの脚力でも平地で時速10〜15km/h、下り坂では最高速度20km/h以上に達することが可能でした。加えて、ハンドル右手のレバーで操作するリアブレーキは、高速域からの急制動には制動力が不足しがちでした。
1970年代中盤の日本はモータリゼーションが急速に進展し、路地裏まで自動車が入り込む一方で、歩道と車道の分離やガードレールの整備は不十分でした。子どもたちがスピードの出る機体で住宅街の交差点や坂道から車道へと飛び出し、自動車と衝突する痛ましい交通事故が全国各地で続発したのです。
新聞各紙が「走る凶器」「危険な子ども遊具」と連日大々的に報道し、PTAや教育現場からは公道走行禁止の要請運動が巻き起こりました。事態を重く見たホンダとポピーは、行政による強制措置を待つことなく、1976年に自主的な生産・販売終了と市場在庫の回収という決断を下しました。子どもたちの命と安全を守るため、大ヒットの絶頂期に自ら幕を引いたのが販売中止の真相です。