高校生離れした奪三振劇を可能にしたのが、代名詞となった「縦スライダー(縦スラ)」です。一般的なスライダーが横方向に滑るのに対し、松井裕樹のスライダーはオーバースローから直球と同じ腕の振りで投じられ、打者の手元で鋭角にドロップするように垂直落下する軌道を描きました。
球速面でも、高校2年時ですでに140km/h台前半から中盤を常時マークしており、3年生時には高校最速147km/hに到達。打者からすれば、140km/h台後半の手元で伸びるストレートにタイミングを合わせているところに、全く同じ腕の振りからワンバウンドするほどの鋭い縦スライダーが落ちてくるため、ボールと分かっていても体が反応してバットが空を切るという現象が続出しました。
しかし、この魔球を成立させるためには相応の代償とチームの支えが必要でした。大きく落ちる変化球は捕手にとって後逸のリスクが極めて高く、桐光学園野球部の捕手陣(当時バッテリーを組んだ宇川一樹ら)による徹底したワンバウンド捕球の反復練習や、小倉貴史監督による綿密なコンディショニング管理があったからこそ、あの大記録は実を結んだのです。