パンくんがテレビから姿を消す決定打となったのが、2012年9月6日に発生した咬傷・襲撃事故です。この事件の背景には、動物行動学の観点から見て決して避けては通れない「オスの成長」という決定的な生物学的ハードルがありました。
当時、阿蘇カドリー・ドミニオン内の劇場「みやざわ劇場」のショー終了直後、パンくんは舞台袖に控えていた女性研修生(当時20代)に突然飛びかかり、顔や頭部、腰などに重傷を負わせました。女性はドクターヘリで搬送され、全治数週間の大怪我を負う事態となったのです。
なぜ温厚で人間を信頼していたはずのパンくんが暴挙に出てしまったのか。その引き金は、チンパンジー特有の「性成熟」と「力の覚醒」にありました。当時10歳を迎えていたパンくんは、人間で言えば反抗期から青年期へと移行する極めて不安定な時期に差しかかっていました。大人のオスとしての闘争本能や縄張り意識が芽生え、自らの強示威行動(ディスプレイ)を抑えきれなくなる年齢だったのです。
成人したオスのチンパンジーの握力は推定200kg〜300kg、瞬間的な筋力は屈強な成人男性の数倍に達します。どれほど人間に育てられ、深い愛情を注がれていたとしても、野生動物としての本能を100%消し去ることは不可能です。事件直後、宮沢トレーナーは涙ながらに謝罪会見を行い、パンくんの舞台・テレビからの完全引退を即時決断しました。この判断は、被害者への責任はもちろんのこと、これ以上の擬人化を止め、パンくんを本来のチンパンジーの生活へ戻すための不可欠な分岐点だったといえます。