核兵器がもたらす最大の戦略的恩恵として語られるのが核抑止力の仕組みです。抑止(Deterrence)とは、「攻撃によって得られる利益」よりも「攻撃に伴う報復で受ける損失」が遥かに上回ることを相手に確信させ、侵略の意思そのものを放棄させる心理的・軍事的なメカニズムを指します。
冷戦期に確立された相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Destruction)の論理は、この抑止力を極限まで制度化したものです。米ソ双方が「仮に先制攻撃(第一撃)を受けて壊滅的な打撃を被っても、残存した潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)などから相手の中枢都市を焼き尽くす報復核攻撃(第二撃)を実行できる能力」を保持しました。この結果、先制攻撃を仕掛けた側も確実に国家滅亡を迎えることが数学的・物理的に確定し、全面戦争が構造的に不可能となりました。
このMADのシステムは、大国同士が直接衝突する「第3次世界大戦」の発生を半世紀以上にわたり抑え込んできたという側面において、国際安全保障上の巨大なメリットとして評価されてきました。しかし、この均衡は「国家指導者が常に合理的な損得勘定を行う」という前提に依存しており、誤認や偶発的事故、通信障害による偶発的核戦争のリスクを常に内包し続けるという、極めて危うい土台の上に成り立っています。