兵庫県から単身上京し、柄本明が主宰する劇団東京乾電池の門を叩いた若き日の江口のりこ。彼女のスクリーンデビューを決定づけたのは、映画界の鬼才・瀬々敬久監督との出会いだった。当時のピンク映画界やインディーズ映画の現場は、低予算と過密日程のなかで人間の根源的な業を描き出す、若手俳優にとっての苛烈な鍛錬場であった。
瀬々監督の現場において、彼女は単なる肉体表現にとどまらない、観る者の胸をえぐるような剥き出しの感情を提示した。美しく飾られたフィクションを拒絶し、汗や体温、生きることのやるせなさをそのままフィルムに焼き付ける姿勢。かつての日活ロマンポルノが持っていた骨太な映画的熱量を現代に継承する現場で、彼女は表現者としての骨格を急速に強固なものにしていった。