千玄室の言動において最も激しい批判の的となったのが、自らの戦争体験と特攻隊の語り部としての活動です。当時の特番インタビューや自著・手記で語られた「明日死にゆく戦友に、茶筅を振って濃茶を点てた。戦友は涙を流して『美味かったぞ、先に行くぞ』と飛び立っていった」という生々しい告白は、全国の視聴者や読者の胸を打ちました。
ところが、インターネットの普及とともに公的記録へのアクセスが容易になると、戦史研究家や旧軍関係者の親族から疑問の声が噴出し始めます。「千玄室氏が所属していた徳島海軍航空隊の白菊部隊において、彼自身が出撃待機命令を受けた時期と特攻作戦の発動記録に齟齬がある」「特攻隊員として搭乗待機していたのは事実だが、直掩隊(護衛戦闘機)なのか爆装練習機なのか、搭乗機体の説明が年を追うごとに変化している」といった技術的・実務的な指摘です。
5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の軍事板や知恵袋、Twitter(現X)では、「命がけで散った英霊の記憶を、自らの名声や権威付けのために脚色しているのではないか」という感情的な反発が渦巻きました。特に2010年代以降、軍歴に対する厳密なファクトチェックがネット上で流行したことで、この疑念は「千玄室の経歴詐称疑惑」「晩節を汚す嘘」といった刺激的な見出しでまとめサイトに転載されることになります。
しかし、茶道関係者や実際に取材を重ねたジャーナリストの視点は異なります。同志社大学から学徒出陣で海軍飛行科予備学生となり、極限の規律と暴力が支配した部隊生活を生き延びたことは動かしがたい事実です。目の前で仲間が次々と南の空へ消えていく中、自分が生き残ってしまったという過酷な「サバイバーズ・ギルト(生き残りによる罪悪感)」を抱え続けてきた千玄室にとって、あの記憶は生涯背負い続ける十字架でした。戦後80年近い歳月の中で記憶の細部が象徴的な語りへと純化していったことは、心理学的なトラウマの言語化プロセスとして理解すべきであり、私利私欲のための虚偽と断じるのはあまりに短絡的です。