玉ひでの創業は、江戸幕府第9代将軍・徳川家重の治世である宝暦10年(1760年)にまで遡ります。初代・山田鐵右衛門は、幕府の鷹場を管理し鶴などの鳥類を包丁で捌く「御鷹匠(おたかじょう)」の流れを汲む人物であり、その卓越した包丁捌きと鳥肉の扱いを生かして開いた「御鳥見茶屋」が玉ひでのルーツです。その後、妻の「たま」の手腕と「秀でた料理」から「玉ひで」の名が定着しました。
そして日本食文化史における最大の金字塔が、明治24年(1891年)頃に誕生した「親子丼」です。当時、玉ひでの看板料理であった軍鶏鍋を食べ終えた客が、残った旨味たっぷりの割下に溶き卵を流し込み、ご飯にかけて食べる風習がありました。これを見た五代目当主の妻・山田とくが、「鍋を汚さず、最初から一つの丼として完成させた料理として提供できないか」と考案したのが、今日私たちが親しんでいる親子丼の起源とされています。
玉ひでの親子丼が他の追随を許さない最大の理由は、使用される鶏肉への徹底したこだわりにあります。一般的なブロイラーとは一線を画す「東京軍鶏(とうきょうしゃも)」を使用し、野性味あふれる濃密な旨味と、跳ね返すような独特の弾力を実現しています。さらに、玉ひででは玉ねぎや三つ葉などの野菜を一切入れないのが鉄則。具材は軍鶏肉と卵、そして門外不出の秘伝の割下のみ。純粋な肉のコクと卵のまろやかさ、醤油とみりんのキレだけで真っ向勝負を挑むその姿勢に、料理人たちの矜持が凝縮されています。