権力者が民衆を支配する道具として、皮膚へ直接衝撃を加える打撃は極めて手軽かつ強烈だった。古代メソポタミアの法典から中世ヨーロッパの宗教裁判に至るまで、体罰は国家の規律を保つための主軸であり続けた。単に身体を痛めつけるだけではない。公衆の目の前で晒し者にし、尊厳を打ち砕くことこそが真の目的であった。
時代が下るにつれ、投獄や金銭罰が刑罰の主流へとシフトしていった。しかし、宗教的規範や独自の伝統を色濃く残す一部の地域では、法的手段としての身体刑が頑なに維持された。苦痛の記憶を身体に刻み込む行為は、近代司法が目指す「社会復帰」や「更生」という概念と真っ向から衝突しながらも、今日まで引き継がれている。