江戸の町人文化とともに花開いた蕎麦の歴史は、元々は非常食や修行僧の栄養源としての塊食(そばがき)に端を発する。細く長く伸ばして切る「そば切り」の技法が誕生したことで、ファストフードとしての利便性と食文化としての芸術性を併せ持つ稀有な存在へと進化を遂げた。
東京の老舗名店から地方の集落に佇む隠れた名店まで、本格蕎麦を骨まで楽しむには手順がある。まずは何もつけずに数本を手にとり、口に含む。蕎麦粉の品種や挽き具合による香りと甘みの違いを直に確かめるためだ。続いて、つゆの端に三分ほどだけ蕎麦を浸し、息を吸い込むように一気にすする。空気とともに手繰り寄せることで、鼻腔へと抜ける芳醇な香りが倍増する。この一連の動作こそ、職人が手打ちの工程で閉じ込めた風味を解き放つ鍵となる。