長沢芦雪の生涯において、最大のミステリーとして語り継がれているのが寛政11年(1799年)6月8日の急死です。享年46。画家として円熟期を迎え、さらなる活躍が期待されていた最中の訃報は、当時の京都や大坂の画壇に大きな衝撃を与えました。
古くから巷間を賑わせてきたのが「毒殺説」と「自刃説」です。江戸後期の逸話集『近世逸人画史』などの記述によると、「芦雪の傲慢な態度や型破りな行動を妬んだ同業者によって毒を盛られた」、あるいは「大坂の宿所で自ら命を絶った」といった劇的なストーリーが流布されました。芦雪の歯に衣着せぬ毒舌や奇行のエピソードが、こうした陰謀論的な結末に信憑性を与えてしまった側面があります。
しかし、近世絵画史の専門家による史料批判が進んだ現在、この毒殺説は「後世の戯作者や好事家によって脚色されたフィクション」との見方が定説となっています。当時の公的記録や門弟たちの動向を精査すると、毒殺を裏付ける決定的な証拠は存在せず、大坂滞在中の急病(流行病や持病の悪化)により客死した可能性が極めて高いと結論づけられています。天才の早すぎる死を惜しむ人々の心情と、彼の破天荒なキャラクターが融合した結果、後世にセンセーショナルな伝説が定着したといえます。