タビオと奈良が結ぶ絆の真相|靴下の聖地と創業者が紡いだ奇跡

タビオと奈良が結ぶ絆の真相|靴下の聖地と創業者が紡いだ奇跡

タビオと奈良が結ぶ絆の真相|靴下の聖地と創業者が紡いだ奇跡の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

タビオと奈良の結びつきを紐解くには、まず奈良県が誇る産業の歴史に目を向ける必要があります。奈良県は靴下の国内生産シェアにおいて全国の約6割を占める圧倒的な日本一の産地です。その中核を担ってきたのが、奈良県北葛城郡広陵町をはじめとする中和地域でした。

この地域では、江戸時代から大和川の豊かな水利を活かした大和木綿のかすり織物が盛んでした。明治時代中期、旧南郷村(現・広陵町)の吉井泰次郎氏がアメリカから手回し靴下編機を導入したことを機に、農閑期の副業として靴下製造が一気に普及。やがて糸染め、編み立て、縫製、仕上げ加工といった専門工程が細かく分業化され、地域全体が一つの巨大な工場のようにつながる「靴下の聖地」が形成されたのです。

この奈良の職人集団と運命的な出会いを果たしたのが、タビオ創業者の越智直正氏でした。愛媛県に生まれ、15歳で大阪の靴下問屋へ丁稚奉公に入った越智氏は、1968年にわずか数名でタビオの前身となる「ダン」を創業。「履いていることを忘れてしまう、第二の皮膚のような靴下を作りたい」という理想を掲げた越智氏が通い詰めた先こそが、奈良県広陵町の町工場群でした。

当時、高度経済成長期の大量生産・大量消費の波の中で、多くのメーカーがコストダウンを求めて海外へ目を向け始めていました。しかし越智氏は「本物の履き心地は、機械の微細な調整や糸の張り具合を見極める職人の指先にしか宿らない」と確信し、広陵町の工場主たちと膝を突き合わせて試行錯誤を繰り返しました。注文主と下請けというドライな関係ではなく、互いの技術とプライドをぶつけ合う対等なパートナーシップ。この泥臭い対話の積み重ねこそが、世界的にも類を見ないタビオの高品質なモノづくりの原点となったのです。

佐々木 一輝
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佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。