豊田誠佑氏の原点を語る上で欠かせないのが、熊本の名門・八代東高校から進学した明治大学野球部での日々です。当時、明大を率いていたのは「御大」こと島岡吉太郎監督。鉄の規律と人間教育で知られる過酷な環境のなか、豊田氏は猛練習に耐え抜き、東京六大学リーグを代表する強打の外野手へと成長を遂げました。
1976年のドラフト会議において、中日ドラゴンズから5位指名を受けてプロ入りを果たします。当時のセ・リーグはスター選手がひしめく群雄割拠の時代でしたが、豊田氏は持ち前の勝負強さと堅実な守備走塁を武器に一軍へ定着。特にここ一番での代打起用や、相手投手の左右に合わせたスタメン起用で首脳陣の期待に応え続けました。
現役引退後は中日で二軍打撃コーチやスカウト、スコアラーを歴任。さらに2002年、星野仙一氏の阪神タイガース監督就任に伴い、星野氏から直接の要請を受けて阪神へ移籍しました。打撃コーチやチーフスコアラー、編成スタッフとしてチームの意識改革を断行し、2003年の18年ぶりリーグ優勝という歴史的快挙に決定的な貢献を果たしたのです。