羽生結弦という存在の特異性は、同時期に活躍した宇野昌磨らのスタンスと比較するとより鮮明になる。自然体でマイペースな姿勢を保ち、メディアとも程よい距離感を維持した宇野に対し、羽生は常に「表現者としての使命感」を背負い続けてきた。この対照的なスタイルが、観客の好みを二分する要素となった。
また、日本スケート連盟や国際スケート連盟との複雑な関係性も影を落とす。従来の組織主導型フィギュアスケートの枠組みを超越した彼の独立独行な活動は、伝統的なスケートファンから「連盟や競技そのものより自分を優先している」という批判を招く要因にもなった。個人のカリスマ性が組織の集客力を圧倒したことで生じた構造的歪みが、冷ややかな視線を生む土壌となったのだ。