清原正吾の野球経歴は、日本のアマチュア野球界を見渡しても前例のない特異な足跡を辿っている。小学校時代は世田谷西リトルシニアの小学生部門などで白球を追っていたが、慶應義塾普通部(中学校)進学後はバレーボール部、慶應義塾高校ではアメリカンフットボール部に所属した。
アメフト部ではタイトエンド(TE)として神奈川県選抜に選ばれるなど抜群の身体能力を発揮していたものの、野球からは丸々6年間離れていた。その彼が再びバットを握ったのは、慶應義塾大学入学時のことだ。「もう一度、本気で野球がしたい」という衝動から東京六大学屈指の名門野球部の門を叩いた。
当初はブランクから生じる感覚のズレに苦しみ、打撃フォームの修正や硬式球への適応に膨大な時間を費やした。しかし、並外れた練習量と研究熱心さで急成長を遂げ、大学4年春には名門・慶大の一塁手としてレギュラーを獲得。秋季リーグでは慶應の4番打者に君臨し、伝統の早慶戦や明大戦で豪快な本塁打を放つなど、神宮のファンを熱狂させた。