志村さんの逝去後、ファンや一部関係者の間では「三鷹の豪邸を記念館やミュージアムとして保存してほしい」という声が強く上がりました。しかし、この構想は現実的な壁に阻まれることになります。
第一の理由は、三鷹市牟礼の立地環境です。現場は道幅の狭い閑静な第一種低層住居専用地域に位置しており、不特定多数の観光客や大型バスが訪れる記念館施設への転用は都市計画法や建築基準法、近隣住民の住環境保護の観点から極めて困難でした。
第二の理由は、建物内に残された膨大な遺品の整理です。邸内には、40年以上にわたる芸能生活で集められた大量のコント用衣装、小道具、特注の舞台かつら、愛飲していたヴィンテージの酒類、レコードや映像資料、さらには親しい芸能人からの贈り物などが隙間なく保管されていました。関係者によると、どこに何があるかを把握していたのは志村さん本人だけであり、遺族であっても「何を保存し、何を処分すべきか」の判断を下すまでに途方もない時間を要したと証言されています。