泥沼化していた太平洋戦争の終戦の経緯において、最大の転換点となったのがポツダム宣言の受諾です。
1945年7月26日、連合国は日本に対して無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」を発表しました。当初、日本政府内では国体の護持(天皇制の維持)や本土決戦を主張する軍部強硬派と、早期和平を模索する勢力との間で激しい対立が続き、明確な回答を保留していました。
しかし、事態は破滅的なスピードで激変します。8月6日の広島への原爆投下、8月8日深夜のソ連対日参戦(日ソ中立条約の一方的破棄)、そして8月9日の長崎への原爆投下です。これにより、もはや戦争の継続は国家と民族の完全な滅亡を意味する状況へと追い詰められました。
8月9日深夜から開かれた御前会議において、意見の一致を見ない政府閣僚に対し、鈴木貫太郎首相が昭和天皇の決断を仰ぎました。昭和天皇が「私の身はどうなろうとも、国民の生命を救いたい」と涙ながらに宣言受諾の意志を示した、いわゆる「聖断」によって、日本はポツダム宣言の受諾を決定しました。