アルルの「黄色い家」で繰り広げられた共同生活の実態は、理想郷とは程遠い緊迫感に満ちていました。ゴッホは目の前にある自然や人物の色彩を情熱的にカンバスへ叩きつける写生至上主義を貫き、対するゴーギャンは記憶と想像力を純化させて構築する構想画を信条としていました。
生活費の管理や絵の具の扱い方といった日常の細部から芸術論に至るまで、二重三重の対立が勃発。ゴーギャンは当時の手記で、ゴッホが夜中に無言で自分のベッドの前に立ち尽くしていたことや、カフェで突如グラスを投げつけてきた異常行動を記録しています。
共同生活の継続に身の危険を感じたゴーギャンは、パリへ帰還する決意を通告。ゴッホにとって、ゴーギャンの離脱は単なる同居人の喪失ではなく、「南仏アトリエの夢の完全な崩壊」と「痛烈な拒絶」を意味していました。この絶望的な亀裂が、狂気の引き金を引くことになります。