定岡正二の名が一躍全国区となった原点は、1974年夏の第56回全国高校野球選手権大会にあります。鹿児島実業のエースとして出場した定岡は、端正な顔立ちと力強い直球を武器に快進撃を牽引。準々決勝では原辰徳を擁する東海大相模と延長15回に及ぶ歴史的死闘を演じ、見事に勝利を収めて鹿児島県勢初となるベスト4進出を果たしました。
この鹿児島実業 甲子園の伝説によって巻き起こった「サダ坊ブーム」は社会現象となり、同年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受けて入団。プロ入り後はプロの壁にぶつかりながらも、1980年代前半には江川卓、西本聖とともに巨人の先発三本柱の一角を形成しました。
プロ11年間で積み上げた通算成績は、215試合登板・51勝42敗3セーブ・防御率3.83。1982年には自己最多となる15勝をマークし、リーグ屈指の右腕としてチームを支えました。当時の推定年俸はピーク時で3,000万〜3,500万円前後に達しており、1980年代前半の球界水準としてはトップクラスの高給取り選手でした。