小田氏治の大河ドラマ待望論が過熱!戦国最弱の不死鳥が推される訳

小田氏治の大河ドラマ待望論が過熱!戦国最弱の不死鳥が推される訳

小田氏治の大河ドラマ待望論が過熱!戦国最弱の不死鳥が推される訳の基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。

小田氏治の激動に満ちた70余年の生涯を、主要な合戦と出来事で振り返ります。

■ 1534年(天文3年):常陸小田氏第14代当主・小田政治の嫡男として誕生。

■ 1548年(天文17年):父の急死に伴い、若くして第15代当主へ就任。

■ 1556年(弘治2年):海老島合戦で結城政勝に敗北し、小田城を初めて失うもすぐに奪還に成功。

■ 1564年(永禄7年):山王堂の戦いで上杉謙信の軍勢に大敗。小田城を失うが、謙信の撤退後に電撃奪還。

■ 1569年(永禄12年):手這坂の戦いで佐竹義重・太田資正連合軍に大敗。小田城を完全に占拠される。

■ 1573年(天正元年):手子生城を拠点にゲリラ戦を継続するも落城。藤沢城などへ拠点を移す。

■ 1583年(天正11年):北条氏と結び佐竹氏に対抗するが、勢力回復は困難となり最終的に佐竹氏へ降伏。

■ 1590年(天正18年):豊臣秀吉の小田原征伐において秀吉への参陣が遅れ、所領をすべて没収される。

■ 1592年(文禄元年):徳川家康の次男・結城秀康に客将として迎えられ、手厚い庇護を受ける。

■ 1601年(慶長6年):越前国にて波乱に満ちた生涯を閉じる(享年68)。子孫は幕臣や諸藩の重臣として命脈を繋いだ。

中村 さくら
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中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。