この街を企画・開発したのは、大手デベロッパーの東急不動産です。1989年のバブル経済絶頂期、「東京から通勤可能なアメリカン・ビバリーグレードの邸宅街」をコンセプトに開発がスタートしました。最寄り駅はJR外房線の土気(とけ)駅。同社の大規模ニュータウン「あすみが丘」の最奥部に、富裕層向けの中核プロジェクトとして位置づけられたのです。
開発陣が掲げたスケールは日本の住宅の常識を完全に破壊していました。1区画あたりの土地面積は平均して約500坪から1000坪(約1,600〜3,300平米)。延床面積も130坪から150坪を超えるメガロポリス級のスケールで設計され、全戸にスプリンクラー付きの広大な芝生庭園、複数台収容の地下ガレージ、ゲストルームが完備されました。
しかし、分譲開始時期となった1990年は、奇しくも日本銀行による総量規制の導入と利上げが重なり、バブル経済が音を立てて崩壊し始めたタイミングでした。都心から車で約1時間半から2時間、電車を乗り継いでも1時間以上を要する外房の立地に、数十億円の個人資産を投じる購入層は瞬く間に蒸発。用意された豪華絢爛なモデルハウス群は、買い手がつかないまま「バブル景気の遺産」としてマスメディアの格好の標的となりました。