自由律俳句の歴史において双璧をなす存在が、尾崎放哉(おざき ほうさい)と種田山頭火(たねだ さんとうか)です。ともに荻原井泉水の門下でありながら、対照的な人生と句風を持った二人の傑作は、時代を超えて読む者の胸を強く打ちます。
エリートの道を外れ、寺の堂守などを務めながら結核で孤独な最期を迎えた尾崎放哉。彼の句は、狭い室内で己の孤絶と向き合い続けた「静の詩」です。
【尾崎放哉の代表的な有名作品】
・「咳をしても一人」
・「墓のうらに回る」
・「足の裏洗へば白くなる」
・「肉が痩せてくる太い骨である」
静寂の中に響く咳の音、白く浮かび上がる足の裏といった身体感覚を通して、逃れられない孤独と死の気配を冷徹に描写しています。
一方の種田山頭火は、出家得度したのちに全国を托鉢しながら歩き続けた無頼の放浪者でした。山頭火の句は、自然の広がりと自身の哀愁が交錯する「動の詩」といえます。
【種田山頭火の代表的な有名作品】
・「分け入つても分け入つても青い山」
・「うしろすがたのしぐれてゆくか」
・「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」
・「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
果てしない緑の深さや、寒空の下で歩みを進める自身の無力感。放浪の果てに漏れ出た独白のような言葉は、飾らない人間臭さゆえに強烈な共感を呼び起こします。