笠間市に拠点を置いた筑波海軍航空隊は、零式艦上戦闘機(零戦)などを配備し、戦闘機専修の錬成訓練を行っていた精鋭部隊でした。しかし1945年2月、同隊から特攻部隊「神風特別攻撃隊 筑波隊」が編成されます。
筑波隊に所属した若者たちの多くは、学徒出陣でペンを銃に持ち替えた文科系大学出身の学徒兵たちでした。彼らは茨城の地で夜間飛行訓練や超低空飛行訓練などの特攻錬成を重ねた後、鹿児島県の鹿屋基地や喜界島、串良基地などの前進基地へと進出。そこから沖縄周辺のアメリカ海軍艦隊に向けて飛び立ちました。
筑波海軍航空隊記念館に保存されている特攻隊員の手紙や記録は、後世に伝えられてきた単なる「勇ましい軍神」のイメージとは異なる、極めて人間味にあふれた苦悩と真情を伝えています。
家族に宛てた手紙には、母への深い感謝、残される妹弟たちの将来を案じる言葉、そして哲学書や古典文学を引用しながら「自らの死の意味」を必死に納得させようとする知的な思索が綿密な筆跡で綴られています。出撃直前に書かれたこれら遺書の行間からは、死への恐怖と葛藤を抱えながらも、愛する人々を守るために運命を受け入れざるを得なかった当時の若者たちの偽らざる真相が浮き彫りになります。