何世紀にもわたって公認されてきた仇討ちは、明治維新による近代国家への転換とともに終焉を迎えます。1873年(明治6年)2月7日、太政官布告第37号として「仇討禁止令」が発布されました。
禁止令が出された背景には、欧米列強と対等な近代法治国家を目指す明治政府の強い意志がありました。個人の判断や武士的倫理による実力行使(私刑)を認めることは、近代法の根本原則である「国家による刑罰権の独占」と真っ向から衝突します。国家が警察と裁判所を通じて罪人を裁く体制を確立するため、いかなる理由があろうとも私的な復讐は厳罰に処すことが明文化されたのです。
仇討禁止令の布告文には、「人の命を奪った者を罰するのは国家の法であり、私的に殺傷することは許されない」という近代司法の理念が明確に示されていました。