内政の大改革と並び、加藤高明内閣が残した外交・軍事面での足跡も見逃せません。
1925年、日本はソビエト連邦との間で日ソ基本条約を締結し、正式に国交を樹立しました。革命後のソ連を承認することは共産主義思想の流入リスクを伴いましたが、北樺太の石油・石炭利権を確保し、極東の勢力均衡を保つ現実的な国益を最優先した結果でした。この日ソ国交樹立に伴う思想的警戒感が、治安維持法成立を加速させたもう一つの要因でもあります。
また、外務大臣に親英米派の幣原喜重郎を起用。中国への内政不干渉と欧米との協調、経済外交を基軸とするいわゆる「幣原外交」を強力に推進しました。
さらに陸軍大臣の宇垣一成とともに断行した「宇垣軍縮」では、4個師団(約9万人)を廃止し、浮いた予算を戦車や航空機など軍の近代化装備へ転換。軍縮によって軍人を削減する一方で、余剰将校を中学校などの軍事教官として派遣する「学校配属将校制度」を導入するなど、徹底した実利主義に基づいた合理化を推進しました。