義村の生涯を語る上で欠かせないのが、建保元(1213)年に勃発した和田合戦である。従兄弟である和田義盛から挙兵への賛同を求められた義村は、当初は起請文まで書いて味方することを誓っていた。しかし、土壇場で北条側に寝返り、起請文を破棄して義盛を裏切る挙に出た。
この決断は後世、卑劣な密告と非難されることが多い。しかし、最新の史料検証によれば、勝算のない情に流されることを拒み、三浦一族全体の滅亡を回避するための極めて現実的な判断であったことが浮かび上がる。義村は個人の道義心よりも、家門の存続という冷酷な命題を優先したのだ。