古川組が辿った過酷な運命の最大の契機は、神戸山口組からの離脱理由をめぐる組織内部の深刻な軋轢にあります。結成当初は反主流派の旗頭として期待されたものの、長期化する抗争の中で上納金負担や上層部の運営方針に対する不満が噴出しました。
特に、六代目山口組側からの強力な切り崩し工作により、現場の組員や幹部の間では「元の鞘に収まるべき」とする復帰派と、「神戸山口組残留」を主張する派閥が真っ向から対立。この結果、組織は一枚岩を保てず、実質的な分裂状態に陥りました。
この内部対立は山口組分裂抗争の縮図となり、各地で組員同士の衝突や襲撃事件が多発。古川組は双方の勢力争いの最前線に立たされることとなりました。