恐怖に包まれた三毛別を救ったのは、近隣でその名を轟かせていた伝説のマタギ、山本兵吉(やまもとへいきち)でした。
当時57歳の兵吉は、日露戦争に従軍した経験を持ち、ロシア製軍用銃(モシン・ナガン)を愛用する孤高の熊撃ちでした。警察や青年団、陸軍第七師団まで投入された総勢数百名の討伐隊が山中で足止めを食らう中、兵吉はヒグマの行動心理を冷静に見抜き、単身で風上から獲物を追尾しました。
12月14日朝、六線沢の上流付近で巨大なトドマツに寄り添って潜んでいた袈裟懸けを発見。兵吉はわずか二十数メートルの至近距離まで忍び寄り、初弾で心臓付近を撃ち抜き、逃げようとする熊の頭部へ正確に第2弾を叩き込んで即死させました。神技とも言える銃撃によって、6日間にわたる悪夢はついに幕を下ろしたのです。
この事件は一人の少年の運命をも決定づけました。当時7歳で事件の惨状を目の当たりにし、家族を傷つけられた大川春義(おおかわはるよし)です。春義は「犠牲者1人につき熊10頭を仕留めて供養する」と心に誓い、成長後に凄腕の熊撃ちとして活動。生涯で通算102頭のヒグマを討伐し、六線沢に慰霊碑を建立して犠牲者の魂を弔い続けました。